旧海軍軍港めぐり Part 6 吉野ケ里遺跡編

この記事は元々「旧海軍軍港めぐり Part2.1 吉野ケ里遺跡編」として公開されていたものです。連番を振りなおしたため、タイトルを変更しています。

(長ったるい前書きはもうやめます。前回はこちら

またもや寄り道です。

今回は広島・呉を発ち、山口、福岡、佐賀と通過し、長崎・佐世保へと向かうルートです。日時的には2019年3月15日の出来事になります。

朝、広島駅を出発し(目的の電車まで時間があったので、駅メモのために別の路線に乗って広島駅に戻ったりしながら)山口の方へと出発です。

(関門海峡を在来線で渡るのは初めてで、少し楽しみにしていたらトンネルで、気づいたら福岡に入っていたのは少し残念。)

そんなこんなで佐賀に入り、乗り換えと休憩を兼ねて鳥栖駅で下車。
近くのマクドナルドで軽食です。
マクドナルドは全国どこも変わりませんね。

ただ、店員さん、お客さん、みんな言葉が普段聞いたり使ったりしているものとは違ったので、何処か異国に来たような雰囲気はありました。

と、食べながらその先のルートを調べていると見つけてしまいます。

吉野ケ里公園駅

迷いに迷ってまた途中下車。これが18きっぷの旅の醍醐味。
(やっぱりこういう所って中々行けないし、行かないと後悔しそうじゃないですか……。)

吉野ケ里公園駅から”その公園”までは徒歩15分ほど。
これが意外に長いんです。

一面田んぼ

到着!

吉野ケ里公園 メインゲート

吉野ヶ里歴史公園は、「弥生人の声が聞こえる」を基本テーマに、日本の優れた文化的資産である吉野ヶ里遺跡の保存と、当時の施設の復元や発掘物の展示などを通じて、弥生時代を体感できる場を創出し、日本はもとより世界への情報発信の拠点とすることを目的に作られました。

かつてこの地に佐賀県の工業団地を造る計画が持ち上がる中、遺跡の価値が改めて認識され、昭和61年から本格的な文化財の発掘調査が行われました。その結果、我が国弥生時代最大規模の環壕集落であることが確認され、また魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子を彷彿とさせる建物跡などが発見されたことにより、一躍全国の注目を集めました。日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。

平成4年に国営吉野ヶ里歴史公園として整備することが閣議決定され、さらに国営公園区域の周辺に佐賀県の公園区域を設け、国と県が一体となった歴史公園として、平成13年4月からその一部が開園、平成 29年7月15日現在では面積約104.0ha(国営公園約52.8ha 、県立公園約51.2ha)が開園しています。

吉野ケ里公園 公園案内

あの有名な吉野ケ里遺跡です。
小学校の教科書に載ってるやつです。

思ってた以上に大規模でした。
ここからは画像中心でお届けします。

木の柵がずらーっと並んでいる
その周りには堀も
鳥居?門?上の鳥はなんだろう?
バリケードだそう
家も一軒一軒復元されている
あの竪穴式住居
中にも入れるようになっていて当時の道具なども置かれており、一軒一軒見て回るのが楽しい
住居なのに飲食禁止。なんだかおもしろい。(一部の建物では飲食可だったりします。)
タイムスリップしているかのよう
後ろの現代的な建物との対比が面白い
かの高床式倉庫
集落の内側にもまた堀がある。よほど重要な様子。
おっと先住の方々が
敷地もものすごく広い
教科書でものすごく見る高見やぐら。登って撮影したパノラマ。
発掘の様子。

とここまで来て、なんと時間切れ。閉園時間です。

公園内の巡回バスに乗せられてしまい、そのまま強制退出となりました。
(まだ北内郭っていう一番メインっぽいところを見てなかったのに!!)

でも泊まって翌日まで持ち越すことはさすがにできないので、今回は諦めて先へ行くことに。

あー残念。

再び電車に乗ること数時間……

佐世保へ到着!

何だかものすごく歓迎してくれている感がありました。

少し歩くと

佐世保港!

この画面は一時期、携帯の壁紙にするほどお気に入りでした。

浮かれながら、リンガーハットで野菜たっぷり麺2倍ちゃんぽんを食べ……
(野菜たっぷりの場合、麺2倍は有料だったんですね。この時初めて知りました。)

ところが、まさか今夜から翌日にかけてあんな地獄を体験するとは……

次回、Part3 佐世保編です。お楽しみに。

【おまけ】

駅メモで佐世保にチェックインしたときの図
移動ログ

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